potato potato

【potato-potahto】

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去年の今頃、人種差別が原因とされるアメリカで起こったGeorge Floydさんの痛ましい事件を発端に

Change.org( https://www.change.org) を知った。その時は「少しでも力になれば」との思いで、彼を拘束し、最終的には殺害したとされた当時の警察官を糾弾する署名と募金を初めてさせていただいた。(今年4月に有罪の評決が出された)

それから約1年の間に、多種多様な問題についてサポートを必要としている人たちの署名を募る声が絶えることなくメールで届くようになった。ぜひサポートしたいと思ったキャンペーンには、署名バナーをクリックして実際に賛同してきた。

 

 

微力ながらしばらくChange.orgを使ってふと思ったのが、「日本人と署名活動は抗議活動としての親和性があるのではないか」ということ。

 

 

 

日本以外のヨーロッパやアジアの国々では、さまざまな不当な問題について、またその結果を産んだシステムや権力に対して抗議の意を示す際に「デモ」が活発に(そして大規模に)行われている印象がある。

一方日本では、デモを見かけたり参加する人自体も少ないと言われている。

 

デモを行う前に申請が必要であることもネックになっていると考えられるが、大きな要因として政治や社会問題に対しての当事者意識の低さ、同調圧力などからデモに抵抗感を示す層が増えてきているとのこと。特に若年層にその傾向が強いという調査結果もある。

www.nippon.com

 

 

これに関しては、わたし自身がデモに参加したことがない理由としてまさしく当てはまる。

加えて、デモやストライキの時に行うような、大きな声で何かを叫んだりする行為自体が、日本人の気質や性質にはなんとなく合わないような気もしていた。もちろんわたしもその気質をしっかり兼ね備えているからこそ感じることなのだけれど。

デモ数を増やしたり、規模を大きくしようとする為にその気質を変えようとすれば、優に1世代以上を超える時間が必要になってくる。その間にも問題の溝は深くなって救い出せる人が少なくなってしまう。映画『タイタニック』であれば、ケイト・ウィンスレットでさえ助からないかもしれない。(©︎About Time, 2013)

 

あとは、デモが主力となって実際に問題の改善・解決へと導いた例をあまり知らないというのもある。「そもそもデモって、やって意味あるの?」という疑問。

 

 

でも、Change.orgはその辺りの心理的弊害を必要とせずして、わたしたちの声を届けてくれる場所を提供している。

民族性とも取れる潜在意識を変えるのではなく、それに寄り添ったような形のプラットフォームだなと思うし、だからこそこの先「日本人にとって署名活動がデモに置き換えられる抗議活動として幅を利かせるのでは?」とも思っている。

 

毎回署名後のページに進むと、自分のほかにも各キャンペーンに対して賛同者がたくさんいることが分かる。「世の中を変えたい・良くしていきたい」と思っている人がちゃんといること、それが分かるだけでも悲しみや憤りで弱った心を強くしてくれている。

 

 

多くの署名活動の発端となった原因、また改善されたその後の結果を享受できるどちらの対象者も「わたし」であったキャンペーンも少なくない。今で言えば環境破壊に関連する出来事が最たるものかもしれない。

自分たちが犯した過ちと向き合い、理想とする目指すべく社会とは何かを常に考える機会も与えてくれるChange.orgは、これからも利用し続けていきたいし、利用者がもっと増えていけばいいなあと勝手に思っている。

 

 

 

手を差し伸べる人、その手を掴む人。

この構図の循環が富み、救われる人が増えることを願って。